February 28, 2004

オウム判決を見て(その1)

今日、オウム真理教の「元」教祖、麻原彰晃こと松本智頭夫被告に対して死刑判決が出た。その判決については、私自身どうこういうべき人間ではない。ただ、彼が裁判でしてきた振る舞いを見ながら、ピンチのときに人間はどう振舞うべきかについて、いろいろと考えさせられるものがあった。

麻原にとって、今の状況は過去の取り返しのつかない失敗のため、人生最大のピンチに追い込まれていといえる。
こんなピンチのとき、人はどうすればいいのだろうか。そう考えたとき、私は裁判で無言の態度をとり続ける彼は最低だ、と思う。

彼のやった行為は、どれをとってもいまの日本の司法制度ではほぼ死刑は確実だ。また彼の行為によって被害にあった人は、彼が死刑になろうがなんだろうが、納得はできないし、ほとんどの人は一生その罪を許すことはないだろう。

そんなとき、彼が人間としてやらなくてはいけないことは、どういうことなのだろうか。頭を下げて謝るだけでも最低だし、命を奪った人にお金を払ったところで大した償いにはならない(そもそも、彼には払うだけの財産自体がないのだが…)。

謝ったって許してくれないし、お金を払ったってだめだろう。そもそも、何したっていずれは死刑の運命だ。だったら、何をやっても無駄だから黙ってよう。彼の姿を見ていると、そういう行動をとっているとしか思えない。オウムが間違っていたか、あるいは危険かどうか、という以前に、一度は「教祖」を名乗った人がそれじゃ、いくらなんでも違うだろうと思う。

彼のような立場になったとき、せめてやるべきことは、事件のことを書き残したり、自らの口で語ることではないだろうか。そして、なぜこんなことになったのか、自分なりに考えて、ほかの人に伝えることではないだろうか。残り少ないかもしれない自分の人生を、意味あるものにするのであれば、まずそれを行うべきだろう。この意味で、「オウムと私(文芸春秋)」という本を書き残した林郁夫の方が(犯した犯罪の重さはともかくとして)はるかにましだ。

失敗によってピンチに追い込まれたとき、自分のやってきたことを考え直すことって、とてもつらいことだ。でも、そこから逃げていたら、その先もずっと自分自身のピンチが続くし、まわりにいる人にかける迷惑も増えていく。報道を通じての印象でしかないが、麻原が自ら考えることをやめてしまったことによって、オウムにかかわり続けている人は前以上に苦しんでいるように、私には見えてしまう。

今回の裁判では、被告人弁護団はすぐに控訴を行っている。事件の大きさ、そして被告人が一審で何も証言していないことから、控訴審でも口頭尋問が行われる高等尋問が行われるはずだ。松本被告人には、せめて控訴審の口頭尋問で、事実についてを語ってほしいと思う。

投稿者 kenichi : 1:22 AM

February 22, 2004

サポーターに街頭デモは似合わない

最近、サッカーファンの間ではジーコ日本代表監督の評判が猛烈に悪い。ま、先日の日本-オマーン戦もヒヤヒヤの勝利だったわけで、ダメだこりゃ感が爆発させる人が多いのはわかる。
そんななか、日本サッカー協会、そして日本国民にジーコ解任をアピールするための街頭デモが今日東京で行われた。
街頭デモがいつどんなところを通り、どんな人がやっていたのかはここを見て欲しいのだが、とりあえず私も「どんなもんかね」ということでちらっとその様子を見てきた。

あらかじめ断っておくが、私自身はジーコ監督がダメとは思わないし、このまま続けてもいいんじゃないかと思っている。さらに、街頭デモという行為に対しても、そのアピール力にちと疑問を持っている。これから書くのはそんな人のリポートということで、ジーコ解任賛同者もニュートラルな方もその辺を割り引いた評価としてとらえてほしい。
さてさて、私が街頭デモを見物したのは、水道橋駅の近くだった。最初は四谷駅付近で見ようと思っていたのだが、到着したときはすでに通過後だったため、水道橋駅まで移動。東京ドームの目の前でようやくデモの軍団に遭遇することができた。参加していた人は、大体80人ぐらいというところか。そのほとんどが、「ZICO NO」とか「このままでドイツは大丈夫」といったプラカードや横断幕を掲げている。
私がビックリしたのは、デモにしては歩くスピードが早いことと、誰もシュプレヒコールを上げていないことだった。
普通、デモといえばやたらと遅く歩きながら「日本サッカー協会はジーコをすぐに解任せよ!(by拡声器)」「解任せよ!(byみんなで合唱。一オクターブ上がる)」みたいなシュプレヒコールが定番なわけだが、それが一切ない。警察に拡声器使用を自粛させられたのか、はてまた「いかにも街頭デモ、っていうのはやだよね~」ということでわざとやめたのか…。
私は、その様子を見ながら、こんなに静かで果たしてジーコ解任をアピールできるのか、と思ってしまった。実際、周りで見ていた人には「あれって何よ。ジーコ。ジーコってサッカーの監督だよね~。で、何なの?」といっている人もいたし。
街頭デモをやる一番の目的は、直接見ている人たちに何が問題か、その解決策はなにか、を知ってもらうことだろう。今日のデモを見ていると、その問題提起の部分が、周りの人にアピールできていなかったと思う。要するに、ジーコ問題って、街中でアピールしたところで、多くの人がすぐにピンとくる問題ではないということだ。
もちろん、一回目は周りの注目が少なくても回数を繰り返すうちにみんなが振り向くようになる、という意見もあるだろう。また、メディアで街頭デモが大きく取り上げられることで運動が大きくなっていく、そういう意見もあるだろう。私も、そういう意見は正しいと思う。でも、回を重ねるうちにマスコミが注目しはじめ、いずれは大ムーブメントに、という道を達成には、日頃の活動を通じてマスコミに人脈を抱え、評論家の支持を集めたり、といった地道な活動が不可欠だ。あるいは、超有名人にデモに参加してもらうとか…。街頭デモは、こうしたPR活動とセットではじめて機能するものだと私は思っているのだけれど、ジーコ解任デモを見る限り、あまりそうしたバックボーンってなさそうな気がする。
PR活動って、嫌いなマスコミ人ともつき合うだけでなく、内部意見をまとめたり経費を巡る生臭い金話しをしたりと、いろいろと面倒なこともしなくちゃいけない。趣味や使命感だけでやるには、あまりにもキツイ作業だと思う。
サッカーサポーターには、自分たちの主張をアピールする場所として「スタジアム」っていう、とってもいい場所がある。ここならマスコミの注目も高いし、激しいブーイングをすればスポーツニュースでちゃんと報道してくれる。もしジーコ解任を要求するなら、PRや街頭デモといった面倒で大変な作業をするより、まずはスタジアムでブーイングを続けることが、一番の近道なんじゃないかな。

投稿者 kenichi : 11:30 PM

February 16, 2004

パンターニ去る

Blog2日目ということで、自己紹介でも書こうと思っていたところ、悲しいニュースを発見してしまった。
自転車・ロードレース界の英雄だったマルコ・パンターニが2月14日に急死したというのだ。しかも、死因がクスリの飲み過ぎだったらしい。一時期は、パンターニ見たさにツール・ド・フランスを見ていた私もショックだったが、熱烈なパンターニファンのJuneさんはもっとショックだったに違いない。なにせ、2000年のシドニーオリンピックでは、パンターニを見るためにサッカー日本代表観戦ツアーに申し込もうとしていたぐらいでしたから。きっと、その辺の顛末についてはblogで触れてくれることでしょう。

パンターニといえば、やっぱり山を登る姿がカッコイイ、に尽きるんじゃないだろうか。ツール・ド・フランスやジロ・デ・イタリアのように何日もかけて何千キロと走る自転車レースでは、平地を走る日、山を登る日、そして一人ずつになって走る「タイムトライアル」の3つのレースが組み合わさっている。このうち、平地を走る日はみんなでローテーションしながら走り続けるため、あまりタイムに差が付かない。総合優勝のためには、まず山登りに強く、なおかつ平地で行うタイムトライアルでもいいタイムを叩き出さなくてはいけない。現在ツール5連覇中のアームストロングや、かつて最強だったインデュライン、イノーといった選手も、両方ともむちゃくちゃ強かった。ところが、パンターニの場合、タイムトライアルで大きく遅れをとることの方が多かった。それでもツール・ド・フランスやジロ・デ・イタリアで総合優勝できたのは、山に入るとぶっちぎりに強かったからだ。レースが山にさしかかると、オールラウンダーのアームストロングより「パンターニ来た~」と応援してしまうのは、多少判官贔屓が入っているのかもしれないけれど、判官贔屓なんていわせないだけの力が全盛期の彼にはあったと思う。
スキンヘッドにバンダナ、左耳にピアスというスタイルで自転車をガンガン揺らしながら登るところから、パンターニには「イル・ピラータ(海賊)」というあだ名がついていた。でも、私には海賊というよりは気さくな兄さんという印象だった。レースの後には、感情にストレートなコメントを出すこともしばしばで、それもまた私の好きな理由だった。
いろいろなニュースを見ると、パンターニは最近はレースでもうまく走れず精神的にもつらい状況だったようだ。飲み過ぎたとされる薬も、処方されていた精神安定剤だったという。自分にむちゃくちゃ厳しくないとロードレーサーなどには絶対なれないけれど、彼の場合その厳しさが自分自身を苦しめてしまったのかもしれない。なんて、私のようなグータラ&ダメ人間が想像するのはおこがましいことこの上ないのだが。
心からご冥福をお祈りします。

投稿者 kenichi : 11:37 PM

February 15, 2004

戸村機関活動開始

米国人もすなるblogというもの、日本人もしてみんとてするなり…、というわけで、今日から私もBlogサイトを開くことにした。
その名は「戸村機関」。機関といいつつ、いまのところ機関員は一人だし、今後も増えるかどうかは不明。毎日はちとキツイが、機関の活動成果をここにアップしていくつもりなので、乞うご期待を。

投稿者 kenichi : 5:29 PM